KAISEIブログ

 : おじいさん、おばあさん、ありがとう 優秀賞作文紹介
 投稿日時: 2011/10/07

ニュース記事「敬老キャンペーンの作文表彰」をご覧下さい(Click!)

先日表彰された中から、優秀作に選ばれた3作品をご覧ください。



私の祖母
私の祖母は一人暮らしをしています。ボランティア活動や、習い事などをして日々忙しく過ごしているようです。
 私が中学生になってから、部活動や勉強があり祖母の家になかなか遊びに行けなくなってしまいましたが、電話をして元気そうな声を聞くととても安心します。
 祖母は、三十二年間看護師として働いていたそうです。その間には色々なことがあり、決して楽しいことばかりではなかったそうです。特に思い出に残っているのは、熊本から観光に来ておられた方が事故にあい、意識がないまま飛行機に乗せて看護をしてついていった時だそうです。とても責任があり、不安もあったそうですが、無事熊本につれていくことが出来て、熊本に帰られてから意識が戻り元気になられたと聞き、本当に安心したそうです。
 私の夢も看護士になることです。大変な仕事であると思いますが、やりがいのある仕事でもあると思います。そして、祖母のような看護師になりたいと思っています。
そんな私の祖母にいつまでも元気でいてほしいです。
(中学3年生女子)


いちばんはじめの記憶
私が思い当たる限りのいちばんはじめの記憶は、祖父が子守唄を歌う歌声だ。いくら考えてもこれより以前の音や光景を思い出せないのだから、そのなのだと思う。
歌は。『赤とんぼ』だった。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ…」と少ししゃがれた、切れ切れの声で歌うのだ。音が高くなると少し声が切れ、低くなると声が大きくなる。そんなイメージの断片的な記憶。しかし、カイロみたいなじんわりとした暖かさを持った、大切な記憶なのだ。
 私の両親は共働きだから、祖父母の家で過ごしていた時間は長かった。そして、祖父母はいつも私に優しくしてくれた。高校生になった今、そのことを思い出すと。そうした時間はとても愛おしく思えるし、何より、祖父母への感謝の気持ちがこみ上げてくる。
 今でも、『赤とんぼ』はよく歌う。いちばんはじめの記憶の曲だから、いちばんはじめの自分に戻れるのかもしれない。一番から四番まで歌い終わると。心が落ち着くのだ。その記憶の頃から十数年経ったけど、じいちゃんのしゃがれ声がよみがえる。そして、なぜかそのころから、祖父は少しも年を取ってないように見えるのだ。
(高校2年生女子)


おばあちゃん、ありがとう。
 私の祖母は、とても働きもので、頑張り屋で、お料理上手なとても自慢できる祖母です。
 そんな祖母の体調が悪くなり始めたのは五月のことです。元々、肺が弱かった祖母。五月頃に家へ行くと、前のような元気も感じられず、とても痩せ細って酸素ボンベを付けていました。その後、入院することが決まりました。月日が経つにつれて、痩せて、話も「うん」と返事するのがやっと。体が痛いと訴えるだけになり、とうとう七月の中旬に亡くなってしまいました。
 皆が祖母の事が大好きでした。祖母の料理を食べると、とても幸せな気持ちになります。一番人気は奈良漬け。親戚の皆が口をそろえて言います。私の一番は、炊き込みご飯です。甘く味付けされていてる煮しめが入っていて、祖母にしか出せない味です。
 とても働き者だった祖母。五十二才で夫を亡くし女手一つで娘を育ててきました。畑と庭の手入れを朝から黙々とやっている姿がとても印象的でした。亡くなる前、後二、三日と宣告されながらも、五日間も頑張った祖母。最後の最後まで頑張り屋だったと思いました。苦労の人ただったという祖母。それを乗り越えてきたその精神を本当に尊敬しています。
(高校3年生女子)