KAISEIブログ
本校の「建学の精神」は「品性の向上をはかり、社会の発展に役立つ有望な人材を育成する」です。
この「建学の精神」具現化するための本校の教育プランを「ドリカムプラン」と名付けています。
先日卒業した高校3年生の「最後のドリカムプラン」は、「20年後の私」でした。
卒業前の特別授業で、クラス代表がそれぞれの「20年後の私」を発表しました。
「叶いますように。」
私は、幼い頃からパティシエという職業を夢見ていました。お菓子を作ったり、食べたりすることが大好きです。嫌なことがあっても忘れるくらい大好きです。三十八歳の私はお店を経営したいです。ローカル局に取材され、口コミで評判が良く、地元で人気のあるお店を経営したい。地元の食材を使ったりしたいです。安心・安全な食品を使うことで、多くの方に立ち寄っていただきたいです。地域のイベントには積極的に参加していきたいです。たとえば、農業祭のようなイベントとかです。そのお店で、お菓子やパンも売りたいです。そして隣では、カフェを開きたいです。お菓子やパンや飲み物を注文していただき、くつろげるお店にしたいです。
私は、好きなことには時間を忘れるくらい取り組む性格です。大好き仕事に没頭してしまい、プライベートで遊べず過ごした三十代だと思います。どうしても仕事が楽しくて、いくら辛くても仕事中心の生活をしていると思います。ですがこの私でも、三十八歳には旦那がいて、娘や息子がいて、幸せな家族と過ごしたいです。クリスマスシーズンは忙しくて、家族とクリスマスパーテーは出来ないと思う。だから十二月二十六日は、一日遅れのクリスマスパーテーをしたいです。せっかくだから、高校時代一緒に過ごしてきたいつものメンバーの家族も呼んで、クリスマスパーテーがしたいです。子供たちが自立する歳までパーテーをしていきたいです。
二十年後の自分へ。自分の夢叶っていますか?自分のことだから叶うまで長く時間がかかり苦労していると思います。そんな時は、部活動でマネージャーして学んだことを思い出して!人が喜ぶことをして、周りに気を配って、感謝を忘れずに…。
「38歳までの道のり」
私は、開星を卒業して、看護学校に入学しました。3年間忙しくてバイトはできず、勉強と実習に明け暮れました。その結果、看護師の資格をとることができました。大学の編入試験も受けました。合格して、一年間、養護教諭の勉強をしました。資格をとりました。でも、養護教諭の枠がなくて、病院で看護師として働きました。彼との結婚を考えるようになった3日後、彼に結婚を申し込まれました。家計のやりくりの上手な主婦になりました。1年後、カッコイイ男の子くんと、その2年後にカワイイ女の子ちゃんが産まれました。5年間看護師として働きました。枠があき、教員採用試験に合格して、養護教諭になりました。でも、憧れていた《白衣を着たかわいい保健室の先生》とはいきませんでした。三十路になりました。旦那とコツコツと貯めていたお金で、大きな、洋風の、お庭が芝生の、かわいらしいおうちを建てました。かわいい家具をそろえました。水回り、お布団は全てキティちゃんで統一しました。土日はママ友や大好きな親友を招いてよくお茶会をしています。年に1回は家族で遠出をします。子どもっちには、いろんな経験をしてほしいから、したいと言った習い事はさせてあげます。できれば男の子くんには野球を、女の子ちゃんにはバレエかバレーをしてほしいです。
そんな人生を歩んで、明日、38歳を迎えます。たぶん、38歳になっても、おっちょこっちょいだと思うけど、いい家族と、いい友達に恵まれて、これからも、楽しく幸せにすごしていってほしいです。子どもっちが大きくなって落ち着いたら、ママさんバレーとか、お茶とかできたらいいです。旦那と二人でできる趣味も見つけて楽しんいでいたらもっといいです。ちなみに、百歳まで生きます。
「黄金時代」
二千十五年には消費税が十%になるかもしれない。ということは二十年後の消費税は二〇%に…、なんとも恐ろしい話しだ。
私は考えた。その日の為に今から農業を勉強する。すると、二十年後には私の育てた野菜と果物で大豊作になっているはずだ。そうだ!畑の隣では家畜をしよう。野菜や果物、肉、牛乳、卵などは買わなくても良い。おっと!魚類がないじゃないか。だから旦那は漁師が良いな。それで、旦那の実家は洋菓子屋ならなおさら良いね。余ったお菓子を旦那の母が、「これ食べてね」と、私に。「そんな、いつも悪いですよ〜」と言いつつも、ちゃっかり貰って食べてるんだろうな、私。休日は家族で出かけ、山で木の実を収穫し、海で潮干狩りをする。帰りに電気屋へ寄り、テレビを好きなチャンネルに換え、マッサージ機に座り、くつろぎながら観賞。二十年後の私はこのようにお金を大切に使っているだろう。よし、二十年後に向けて明日から頑張るぞ!でも、ここまで倹約家になると、同窓会には、リアル森ガールで出席することになってしまう。お金どころではなくなるな。この話は想像だけで終わろうか。
実際には都会へ行き、毎日テレビ局に足を運ぶ。スポーツ選手から歌手、芸人、様々な人とお近づきになる。その結果、旦那はEXILEのTAKAHIRO、近所の友達は、香里奈や向井理、ママ友として尾木ママ。農業は本当に素晴らしい仕事だが、庭で菜園するくらいの趣味にし、保育士になっているだろう。このように二十年後の私は好きなことをし、田崎冴里になり、大好きな旦那と可愛い子供たちと、また、孫を可愛がる両親とも楽しく、明るい人生を送っているだろう。消費税がこれ以上、上がらないことを祈りながら
「Impossible is Nothing」
二十年後、私はどこで何をしているだろうか?もちろん、この問いの答えは二十年後になってみなければ分からない。だが、一つだけ予測できることがある。それは、私がとても忙しい日々を送っていることだ。では何故このようなことが言えるか。それは、私の夢のスケールの大きさにある。世間の人々に本当に必要とされる企業を経営し、最後まで自らの企業の付加価値を追求し続けることが私の夢だ。さて、ここまでの文を読まれた貴方は今どのような心情だろうか。おそらくこの二つのどちらかの心情を抱かれる。一つは、「可能である。」そして私を応援したいという気持ち。もう一つは、「不可能である。」そして現実を見ろと私を非難する気持ち。前者もいれば必ず後者も存在する。どちらの心情が生まれても可笑しくはない。すなわち両者共に正しい。ただ前者は私の夢実現への大きな支えとなる貴重な存在だ。確かに、今の経済状況を考慮した上で、企業の経営者になるといった夢を掲げることは、とても勇気が必要である。後に大きなリスクも伴う。では何故、私がこの夢を抱くのか。理由を挙げればここには書ききれない。では、簡潔に一つ挙げる。それは、直感である。誰にもわからない何かが私を導くのだ。
将来、私が高校で学んだ、人との繋がり、御縁の大切さ。自分の未熟さ。全てへの感謝を忘れずに人生を突き進むことが夢実現への架け橋となる。この橋を渡れたならば、最終的に私が企業を挙げて行うべきことがある。それは、ふるさと島根での地域貢献だ。いつか、私を育んでくれたこの地へ恩返しがしたい。そして、島根を活性化させたい。私は、口先だけの人間になるつもりなどはない。だが、この夢は私一人の力だけでは実現不可能だ。ところで、貴方にお伺いしたい。前者ですか。それとも、後者ですか。
「自分の将来」
私は将来調理師になるという夢があります。私は将来、自分の店を持てればいいと思います。そのために、福岡の北九州調理製菓専門学校を卒業していると思います。そして、立派な調理師になっているとおもいます。店は島根県の松江市にあり、少しずつ店を増やしていっていると思います。自分は西洋の料理に特に興味があるので将来、二十年後の自分も西洋料理の店を持っていると思います。そして二十七歳で店を持ち、店を少しずつ大きくしてければと思います。そして三十二歳で二件目の店を持ち、結婚もしていると思います。子供は三人か二人いると思います。一人目の子には野球をさせて、二人目にはサッカーかバスケをさせていると思います。そして、三十歳で家を建て、島根に住みたいです。そして飲食店の頂点に君臨するマ○ドナルドを超えていけるような店を出したいです。そして全国チェーン店だけではなく、世界の店を作れるような男になりたいです。そしてお金をいっぱい稼いで、世界で貧しい国に寄付したいと思います。そのためには今、一生懸命、専門学校で調理のことを学び高校では勉強が疎かだったので専門学校に行ったら勉強も頑張っていき人一倍、調理の練習をして立派な調理師になりたいと思います。そしていつか自分の店を持つことができたら、いままでお世話になった先生方や先輩や友達や家族なども招待したいとおもいます。そのために沢山の方々に迷惑をかけてしまうかもしりませんが、今まで自分に協力して下さった人たちをうらぎらないように今からでも少しずつ頑張って行きたいと思います。