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 : 演劇「ヘレン・ケラー」を鑑賞して その2
 投稿日時: 2012/07/03

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ブログ記事「演劇『ヘレン・ケラー』を鑑賞して その1」(Click!)

演劇部員の仕込みも大詰め。

せぇの、よっ。

 私がこの劇を見て一番印象に残った場面は、サリバン先生とヘレンが取っ組み合いをする場面でした。この場面は、劇中に何度も出てきましたし、実際に、この劇の中で最も重要な場面の一つだったように思われます。二人の迫真の演技はもちろんですが、私はこの取っ組み合いの「意味」こそが重要だったのではないかと思います。サリバン先生以外の人たちはヘレンが暴れるのに負けていたり、罰を与えようとしているばかりで、思いのままにヘレンと「ケンカ」したり、同じ目線でヘレンに対して「腹を立て」たりすることがありませんでした。「障害があるのだから、周りの人がどうにかして何かを教え、しつけなければならない」という姿勢でヘレンと接している人ばかりでした。しかし、サリバン先生は違いました。先生のヘレンへの態度からは、「ヘレンと同じことに感動したり、起こったりしてみたい」という思いが伝わってきたし、何より、ヘレンを自分と同じ立場にある一人の人間として見ていました。ヘレンが悪いことをすれば、障害のない子供が悪いことをした時と同じように怒り、全身で、ヘレンと「ケンカ」していました。サリバン先生は、ごく普通に、ヘレンに「腹を立てて」いました。おそらく、「言い聞かせないといけないから」怒る、のではなく「腹が立ったから」怒っていたのだと思います。その点で、サリバン先生は、誰よりもヘレンに正直で忠実でした。だからこそ、ヘレンの心の扉を開けることができたのだと、私は思います。


出会いの場面でした。

 今回のヘレン・ケラーの演劇を見て、僕は改めて、人の心の大切さを学んだ。僕はヘレン・ケラーのことについてよく知らなかった。ヘレン・ケラーはすごい努力家で、自分の努力によって、すごい人になったと思っていたが、彼女だけの努力ではないのだ、ということが今回よくわかった。サリバン先生、また家族の努力、とても大きな支えがあってこそのヘレン・ケラーの姿があるのだな、と思った。ヘレン・ケラーも僕たちと同じく、イライラすることもあれば、他人を思いやる気持ちも持っていた。その表現方法が下手なだけで、実は他の人と何も変わらないのだ。サリバン先生の、彼女にまっすぐ正面から向き合っていく想いが彼女に伝わったので、彼女は変わった。いや、ただそれは表現方法を知っただけだったのかな。そんな気がした。どんな人にも心はある。どんな人にも想いはある。その扉を開けるのは、周りの人たちなんだな、と思った。僕がもしかしたら誰かを助けることができるかもしれない。皆のことをよくよく考え、想い、人を愛することができれば、と思う。
 この度は本当にありがとうございました。今回の演劇で、僕は心が動かされました。僕自身も変わらなければな、と思います。


がんばった演劇部員にはご褒美が。

 昨日の演劇を鑑賞して、その話の中に引きずり込まれたような気がしました。見入ってしまって、あっという間に2時間が過ぎていました。その人たちになりきっていて、本当に劇団員の方が、ヘレン・ケラーやサリバン先生に見えてきて、演劇が終わっても話しの中から抜け出すことがなかなかできませんでした…(笑) 人を感動させてくれるってすごいなあと思いました。なんとなく私も、演劇をやってみたくなりました。^^; わら。
 その役になりきって、本気で笑ったり、泣いたり起こったりしていて、サリバン先生は本気でコケていて…本当にすごいなあって思いました。ずっと、ヘレン・ケラーとサリバン先生はいっぱい動いたり、ケンカしたりしていて見ている私が疲れそうでした。あんなに動いているのに全く大変そうではなくて、息も上がってなかったので、どんだけ体力があるんだーっ!?とびっくりしました。プロは意識も高いしすごい、と思うことがいっぱいありました。手を一つも抜いていないようで、本気が伝わりました。私もみなさんのように、意識を高くもって手を抜くことなく、毎日稽古できるように頑張っていきたいと思いました。
 私も将来は“プロ”になるのが夢なので、間近で“プロ”を見ることができ、“プロ”の勢いなどを感じることができ、本当に良い経験ができたと思います。また、来年も演劇が見たいです(^O^)!!!


座談会と、「演劇部さんへ」って書いてある色紙を頂きました。

 「三重苦」を持っている少女ヘレンが指文字を覚えていくところが感動的でした。何も見えない、何も聞こえない、何もしゃべれない。そんなヘレンがもし私自身だったら、とてもこわかっただろうし、心細い気持ちになっただろうと思います。感情の表現に苦労するだろうし、ほとんどの日常生活にも支障がでるだろうと思います。私が、見えてあたりまえ、聞こえてあたりまえ、しゃべれてあたりまえ、と思うことが、本当は当たり前ではないことなんだな、と思いました。
 そして、自分の可能性を決めつけてはいけないと思いました。人間には未知なる可能性があるから….私はそう思います。自分はできない、とか思ってもいけないし、人ができることもそれが当たり前、と思わないようにします。
 私を産んでくれた母に、今ものが見えること、しゃべれること、耳が聞こえることを感謝します。


美しい舞台。

 僕はプロの演劇を見るのは初めてで、見る前からとても楽しみでした。演劇が始まって、予想以上に演技が上手なので、とてもびっくりしました。特にヘレン・ケラーの役はとても難しいだろうな、と思いました。
 ヘレン・ケラーについては本でちょっと知っていたけど、その先生のことは知りませんでした。この劇で詳しくわかってよかったです。
 僕が一番すごいと思ったのはヘレン・ケラーが転ぶ場面です。本当につまずいたように見えて、とてもすごかったです。とてもびっくりしました。あと、ヘレン・ケラーのお父さんが怒鳴るところもすごかったです。
 今回の演劇で、ヘレン・ケラーについてよくわかりました。また他の演劇も見てみたいです。


本物の水。

 耳も聞こえず、目も見えず、話すこともできない中で、一生懸命勉強して自分の考えや気持ちを必死に伝えようとしている姿にとても感動しました。ヘレン・ケラーという人物にとって、サリバン先生の存在というのはとても大きなものだな、と思いました。周りの人々や両親でさえとまどって、どう接していいかわからないのに、サリバン先生は、前向きにヘレン・ケラーに信頼してもらえるように接していて、2人とも本当にすごいなと思いました。もし私がどちらかの立場だったら、相手のことを必死に理解しようと出きたかわかりません。多分自分には無理だと諦めてしまうと思います。2人の根気強さと、相手と真剣に向き合おうとする信頼があったからこそ文字を覚えることができ、気持ちを伝えることができたのではないかと思いました。
東京からわざわざ来ていただいて、とても迫真の演技でヘレン・ケラーという人物の物語を見せていただいて、本当にとても感動しました。時間をかけて努力する大切さを知ることができてよかったです。


本当にありがとうございました。

 私は、今回初めてプロの方々の演劇を見ました。演技の迫力がすごく、今まで興味をもつことすらなかったヘレン・ケラーという人物にどんどん引き込まれていきました。役者の方々からも、ヘレン・ケラーからもたくさん得るものがありました。
 周囲の音が聞こえる。周囲を見渡せる。さらに自分の思っていることをすぐに口に出して伝えることができる。これを当然のことだと思って生活している自分がいます。正直三重苦というものを私は経験したことがないので、どれだけ辛いことか、そして何の障害もなく生活できることがどれだけ幸せなことなのかわかりません。
 しかし、今回の演劇を見て、このままではいけないと思いました。これから多くの壁にぶつかると思います。その時に壁を避けて通るのではなく、乗り越えていきたいと思います。
 私は指文字や手話に興味を持っています。ヘレン・ケラーやサリバン先生のあの喜びのシーンを見たときに、指文字や手話がもたらす力、輝きを感じました。それを皆様の演劇を通して見ることができ、ワクワクしました。将来、その力の普及や援助をしていけたら、と思います。遠い所から私たちのためにお越しいただいてありがとうございました。これからも頑張ってください。


仕組みが分かる?

 今回の演劇を見るまで、ヘレン・ケラーという人物について名前と、目が見えないが努力し大学へ行った、ということくらいしか知りませんでした。それだけの事しか知らないから、ヘレン・ケラーという人物がすごい人、才能がある人なのだ、というような考えしか持っていませんでした。しかし今回の演劇を通じて、ヘレン・ケラーの努力、周りの人々の協力、支えがあったからこそ結果がついてきた、ということがわかりました。
 三重苦という苦しみやつらさは正直わかりません。しかし、大きなハンデを持っていたとしても、努力は必ず報われる、ということに強く感動しました。
 ヘレン・ケラーに比べれば、小さな話ですが、今、私たちは大学受験という壁にぶつかっています。受験勉強している中で一番感じるのは、どのくらいすれば良いか、これで受かるのか、という不安です。しかし、努力は裏切らない、必ず報われることを信じて、自分の幸福をつかみ取りたいと思います。
 今回は素晴らしい演劇をありがとうございました。


東京演劇集団「風」の皆さん、またお会いできると嬉しいです。

完。