KAISEIブログ

 : 高等学校卒業証書授与式 校長式辞
 投稿日時: 2019/03/01


 昨年12月28日4センチ、12月30日1センチ、年が明け1月26日1センチ、これらは昨年から今年にかけて松江地方気象台が観測した松江の降雪量、降った雪の量のすべてです。この冬は、このように大変雪が少なく、ここまできました。今日からは弥生3月、春の訪れが例年以上に早く感じられています。
 そうした今日のよき日、ご来賓の皆様、そして、卒業生の保護者の皆様のご臨席をいただき、「平成30年度 開星高等学校 卒業証書授与式」を挙行できますことは、私ども本校職員にとりまして、誠に喜びとするところでございます。本校を代表し、謹んで感謝申し上げます。また、来賓の皆様には、日頃から本校の教育にご指導ご鞭撻いただいておりますことを改めて御礼申し上げます。また、卒業生の保護者の皆様には、6年間、あるいは3年間ご理解ご協力をいただきましたことに重ねて感謝申し上げます。
 さて、3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
卒業生の皆さんのこれからの人生が希望に満ちて価値あるものなるために、ある人物を紹介します。その人は、現在満97歳です。皆さんよりも約80年も長い人生を送られています。もし皆さんが97歳まで生きていられるとしたら、その時はどんな日々を送っているか想像してみてください。これからお話する方の人生の歩みの中から、よりよく生きるための何かを感じ取ってもらいたく思います。
 その人のお名前は、井口(いのぐち)潔(きよし)といいます。1921年、大正10年10月21日のお生まれです。小学校に入るや、満州事変、5.15事件、国際連盟脱退、中学に入ると2.26事件、その後、旧制福岡高校から九州帝国大学医学部に入学された頃には、すでに太平洋戦争が始まっていました。大学4年になると学徒出陣で軍医候補生となり、陸軍で働かれました。その年の8月終戦となり、混乱の中での大学卒業です。もの心ついた頃から戦乱の雰囲気の中で、常に死が間近にある青春時代を過ごされました。卒業生の皆さんはもちろんですが、私も経験したことのない苛酷な時代であったと思います。以下、「井口先生」と呼ばせてもらいますが、当時、井口先生は「若くして死んでしまうのが運命ならば致し方ない、死ぬその時までは、よく生きてやろう」と覚悟を決めて日々生活されたそうです。
 戦後、井口先生は九州大学大学院特別研究生、お茶の水女子大学理学部講師などを経て、九州大学医学部教授になられました。外科医として数々の功績を残されました。胃がん手術は2000回を超え、日本癌治療学会や日本外科学会の会長も務められました。63歳で定年を迎えられるにあたって、井口先生は「私がこれからやらなければならないことは、人間という生物の正体を学んで、人間の正しい精神の発達過程を明らかにする」ということに思い当たりました。そして、これがご自身に与えられた天命と考えられました。
 それまでの井口先生のご功績からすれば、定年後、悠々自適の生活を送ることも可能であったでしょう。また、戦乱の中で過ごした青春時代にできなかったことをやってみることもできたかもしれません。しかし、井口先生はご自分の定年後の人生を未来への貢献に尽力されています。定年を迎えられたのは、昭和の終わり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた頃です。その後、平成に入り、経済的にはバブルが崩壊しましたが、井口先生の目には、日本の社会が次のように見えていました。日本人があれほど強く願い求めてやまなかった平和な世の中のありさまは、「平和ボケ」をして、わがままや目先の楽しみ、楽なことに流れてしまい、「人間はいかに生きるべきか」という根本を忘れて、人間教育は荒廃に瀕している。これでは、物質文明は栄えても、人類が滅びてしまう心配がある。人間はいかなる生物であるかを見直して、心で生きる生物である「人間」の生き方を再確認しなければいけないと考えられました。
 井口先生の提唱された活動は、その後、今日まで30年余りの時代の流れの中で、紆余曲折もありましたが、これまであった「ヒトの教育の会」を今年1月に、NPO法人として再スタートされました。この「ヒトの教育の会」は、次のような考えを提唱されている団体です。霊長類ヒト科の動物として「ヒト」は生まれます。この「ヒト」を「人間」にまで育てる営みが子育てであり、人間教育であるという考えです。言い換えれば。カタカナで書く「ヒト」を漢字で書く「人」あるいは「人間」にするための教育です。生物学と脳科学の視点から、日本人の伝統的な教育や生き方に光を当て、「うまく生きる」より「よく生きる」ための教育の在り方を提唱されています。
井口先生は、NPO法人化するにあたって、次の言葉でその決意を述べられています。
「烈士(れっし)の暮(ぼ)年(ねん)、壮(そう)心(しん)已(や)まず。」少し難しい言葉ですので解説します。「烈士」とは、志や信念を貫き通す男のことです。「暮年」とは、晩年のことです。「壮心」とは、若々しいチャレンジ精神のことです。したがって、「烈士の暮年、壮心已まず」とは、「志のある人は、年をとっても、大志を持ち続けて努力する」という意味です。
 この「烈士の暮年、壮心已まず」という言葉は、2世紀から3世紀にかけての中国を舞台とする『三国志』に出ています。そこに登場する英雄の一人、曹操が晩年詠んだ詩の中にあります。小説『三国志』の中では、曹操は悪役になっていますが、実際の曹操は戦いに強かっただけでなく、学問も教養もあり、とても勉強熱心だったようです。遠征に行くのにも、常に数冊の古典を持って行き、敵との対戦中でも時間を見つけて目を通していて、晩年になっても本を手元から離さなかったようです。
 「烈士の暮年、壮心已まず」は、曹操自身が「自分がこうありたい」と願って詠んだものです。井口先生も、曹操の言葉に、自分の思いを重ねていらっしゃいます。人は、心の持ちようで若さが保てると、いろいろな先人が語っています。たとえば、多くの人に愛されているサミュエル・ウルマンの詩『青春』は、「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」という言葉から始まっています。いくつになっても、常にチャレンジ精神を持ち続けることは難しいことではありますが、高齢化社会が進展している今こそ、曹操や井口先生の生き様に学ぶことは大切だと思います。
 卒業生の皆さん、「烈士の暮年、壮心已まず」、年を重ねても、志を持ち続けて努力する人生を歩んでください。井口先生は、生物学を基盤とした人間教育を確立しようとする志を胸に、97歳の今でも尽力されています。志の中身は、一人ひとり違ってよいと思います。「平成」という時代が間もなく終わり、新しい時代の始まりにあたり、その新しい時代をよりよい時代にしようとする思いが根底にあれば、どれも立派な志です。皆さんが「烈士の暮年、壮心已まず」の精神を持って、本校の校名「開星」の由来の如く、社会の発展に役立つ有望な人材に成長されることを祈念して、私の式辞を終ります。