KAISEIブログ

 : 中学校卒業証書授与式 校長式辞
 投稿日時: 2019/03/22


 弥生3月も彼岸の中日を過ぎ、寒暖を繰り返しながらも、風光る春の訪れが確実に感じられるようになってきました。
 そうした今日のよき日に、「平成30年度 開星中学校 卒業証書授与式」が卒業生の保護者の皆様のご臨席をいただき挙行できますことに深く感謝申し上げます。
 さて、開星中学校第23期生の皆さん、卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
 皆さんの今後の成長を期待して、これから激励の言葉を述べますが、皆さんは3年前、小学校の卒業式で校長先生がどんな式辞を述べられたか憶えているでしょうか。中には素晴らしいお話をされ、心にしっかり刻み込まれている人もいるでしょう。また、卒業式に臨むにあたって、自分の抱いていた思いに重なるお話をされ、深く共鳴した人もいるでしょう。
 私自身も、かつて小学校や中学校の卒業式に、児童生徒として臨みました。その際、正直なところ、もう何十年も前であることもあり、校長先生がどんな式辞を述べられた記憶にありません。私の同窓生の中には、憶えている人もいるかもしれませんが、私を含め、多くは憶えていないと思います。それはなぜでしょうか。私はこう考えます。私たちは、日頃、いろいろなものを聴いたり、見たり、読んだりしています。これらは、すべて学びです。その学びというものをどう捉えているかで、聴いても、見ても、読んでも、憶えていないということはあります。
 学びの捉え方として、ここでは二つに分けます。一つは「知識を憶えて、後で試され、評価され、比較されるもの」。もう一度言います。「学びとは、知識を憶えて、後で試され、評価され、比較されるもの」と捉える考え方です。もう一つは「新しいことを発見する喜びと、世の中を便利にしたり安全にしたりするために活用するもの」。もう一度言います。「学びとは、新しいことを発見する喜びと、世の中を便利にしたり安全にしたりするために活用するもの」と捉える考え方です。
 卒業生の皆さんは、学びをどちらで捉えているでしょうか。もし学びや勉強が嫌いな人であれば、前者の捉え方、すなわち「学びとは、知識を憶えて、後で試され、評価され、比較されるもの」と考えているのではないでしょうか。学んだことを理解しているかどうかをテストなどで試されることを意識します。そして試された結果は点数化され、クラスや学年などで比較されることをイメージします。結果が悪ければ叱られることもあるので、「学ぶことは苦しい」と思ってしまいがちです。一方、学びや勉強が嫌いでない人も、テストでよい点を取ることだけが価値があると思っていないでしょうか。
 もし卒業式の式辞を憶えているかどうかを後で試され、評価され、比較されるとしたら、皆さんの聴き方は違ってくるでしょうか。もちろん今話している内容を憶えているかどうかを、後で試したり、評価したり、比較したりすることはありません。ただし、試されないなら、話を聴いても意味がないと思うとしたら残念です。学びとは、新しいことを発見する喜びにつながるものです。この卒業式も含め、学びのチャンスはどこにでもあるという意識で、日々生活してもらいたいと思います。
 今、学校教育の在り方が大きく変わろうとしています。学力の定義も、これまで知識・技能とされていたものが、それに思考力・判断力・表現力、そして学びに向かう力も加えてられるようになりました。これは、AI革命、人工知能革命に代表される社会の大変革に対応するためです。もちろん、人類の歴史を振り返えれば、教育において変わるものもあれば、変わらないものもあります。今は、変わらないものもあるものの、大きく変わるものがある時代です。したがって、学びの捉え方が、とても大切になってきます。「学びとは、新しいことを発見する喜びと、世の中を便利にしたり安全にしたりするために活用するもの」と捉えることが重要です。
 学ぶ際、単に憶えるだけでなく、考えることを楽しみ、何かを発見する喜びを感じながら、広くて深い思考ができるようになれば、AI社会でも活躍できるようになります。また、皆さんが社会人になる頃は、職業に関係なく、また国内で働くとしても、国際性が求められます。皆さんの一年先輩の学年から、大学入試が大きく変わるのも、こうした背景があります。開星中学・高等学校では、そうした将来の社会情勢を見極め、「学び」についての捉え方をしっかり確立した上で、IT教育やグローバル教育も推進しています。その活動の中心を担うのが内進生の皆さんです。また、他の高校に進学する皆さんも、学びの捉え方が問われます。この開星中学校で3年間学んできたことを基盤として、さらなる飛躍をとげてください。
 ここにいる開星中学校第23期生の皆さんが、「開星」の校名の由来の如く、社会の発展に役立つ有望な人材に成長していかれることを期待し、私の式辞を終わります。