KAISEIブログ
2024年のノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェーの首都オスロで開かれました。広島、長崎の被爆者の全国組織、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞しました。
これは大変喜ばしいことであり、被爆者の長年にわたる平和への尽力が評価された結果です。しかし、その一方で、現在の世界情勢が平和に対して不安定な状況にあることを反映しているとも感じられ、素直に喜びきれない複雑な心境でもありますね。
授賞式に出席した日本被団協の役員の中で最高齢の92歳の田中熙巳さんは、13歳だった1945年8月9日、長崎市に原爆が投下され、爆心地から3キロあまり離れた自宅にいた田中さんに大きなけがはありませんでしたが、爆心地近くにいた伯母や伯父など5人の親族を亡くしました。
原爆投下の3日後、伯母たちの安否を確認するため爆心地近くを訪れとき、多くの遺体と、救援もないまま痛みに苦しみ亡くなっていく人たちを見て、このような惨状は二度と起こしてはいけないと強く感じたといいます。
大学を卒業後、工学系の研究に取り組むかたわら被爆者運動に参加し、日本被団協の事務局長を20年にわたって務めました。
2016年に当時のアメリカのオバマ大統領が現職の大統領として初めて広島市を訪れた際は、平和公園での献花に立ち会いました。
その翌年、代表委員に就任したあとも国内外で核兵器の廃絶を訴えたり、広島や長崎で被爆した人たちの原爆症の認定をめぐって基準の見直しを政府に求めるなど、90歳を超えても精力的に活動を続けています。
ノーベル平和賞の受賞が決定した際には「核兵器は、絶対に使われてはいけない。被爆者は高齢化しても若い世代が運動を引き継いで大きな声で訴え続けてほしい」と話していました。
田中さんがインタビューの最後に若者に向けた言葉が印象に残りました。
「特に若い人たちに、皆さんの未来は皆さんで作り上げていくんだ、開いていくんだということをお伝えしたい。
大事なのはこれからで、次世代の人たちは自分で考えて行動してほしい、自分で考える未来を!」
被爆者の訴えを、私たち1人1人がどう受け止めるかに、未来はかかっています。
小山内拝